platinum insomnia

元自殺志願者の世迷言

古今

 このまえカレンダーを眺めていたら、その日が昔好きだった人の誕生日だったとふと気づきました。

 

 記憶を呼び覚ますと、穏やかな気持ちや懐かしい感情が湧いてきて、自分は今でもその人のことが好きなのだなぁと思いました。ですが、今現在その人がどこで何をしているのか、何をしてどんな暮らしをしているのかには全く興味が湧かなかったのです。

 SNSを開いて、眺めてみても情報は頭に入ってきません。興味がないのだからそうなってしまいます。

 

 私には中学や高校の時など、昔に好きだった人がいます。今の私は、昔のその人たちのことが好きです。愛しく思います。

 でも、いまのその人たちのことは好きではないのです。特に気になりません。

 そんな自分に気づいてしまったのです。

 

 昔のあの人たちのことを好きな自分を感じると、あぁ自分はやっぱり自分なんだ。何年経っても変わらないんだなぁと思います。

 今のあの人たちに興味がわかない自分を感じると、あぁ時とともに自分もここまで流れてきてしまったんだなぁと思います。

 

 不思議なことですが、今も昔もそんなものなのでしょうか。

 

死にたい気持ちが消えなくて

 死んでしまいたいという気持ちを抱えながら生活していくうちに、私はこの気持ちをどうにかしなければならないと思うようになりました。死にたい気持ちを消すためにはもっと生きたいと思わなければならない。生きる理由を作らなければいけない、とそんな風に頑張り始めたのです。

 何年か経ち、現在。私は生きたい気持ちを持っています。明日も来週も来月も生きていようという気持ちも理由も持っています。ですが死にたい気持ちは依然消えていません。

 どうやら生きたい気持ちが前より強くなったからと言って死にたい気持ちが消える訳ではないようです。からいものに砂糖を足しても味を中和することができないように、死にたい気持ちは生きたい気持ちで打ち消されないようです。

 

 どうしたら生きたいと思えるようになるのか?という事を考えること自体は有益であったと思います。おかげで死にたいとは思っても、実際に死のうとは考えなくなったからです。むかし頭の中で用意した断頭台に入って、自ら刃を落とすことはもうきっとありません。

 

 私は自殺しません。生きたいと思っているからです。

 でも美味しいものを食べても、誰かと楽しい時間を過ごしても、楽しく生きていけると思っても、その事とは関係なくここからいなくなってしまいたいと感じます。好きな人たちと生きていたくても死にたい気持ちは消えないのです。

 これは、もしかしたら私がなぜ死にたいと思っているのか、その原因と関係があるのかもしれません。このことはこれからまたゆっくり考えていきたいと思います。

うつ病と言われて

 私は8年前の学生時代にうつ病と診断されました。当時のことは今でもよく覚えています。

 その後、一年ほど陰で苦しみましたが、症状は収まり、何事もなかったかのように生活を続けました。ですが、うつ病になってしまった事は私の自信を傷つけ、収まりの悪い劣等感を抱かせるようになります。

 多くの人は当たり前のように毎朝起きて、自分というものに自信を持ち過ごしている。それなのに、自分はその当たり前ができない。そんな簡単な事ができない自分には本当に価値があるのだろうか?と何度も考えました。

 ある日、私は決意します。それなら価値のある人間になろう。人に認められるようになろう。すごい人間になればこんなに辛い思いをしなくてもいい。家族に、友人に、女性に認められるような人間になろう。

 私は必死に勉強して、賢くすごい人間になろうと決意しました。

 

 三年前、私のそんな頑張りにも限界が訪れます。朝になってもベッドから出られず、少し頑張ると熱が出る。お腹を壊す。胃腸が働かなくなる。蕁麻疹が出る。様々な症状が現れました。もう限界です。

 はじめはどうにかしようと何軒もの病院に行き、片っ端から医学・精神学の本を読みあさり、数々の健康法を試しました。しかし、なかなかよくなりません。

 またうつ病だと診断されました。

 もうだめだ。死んでしまおうと何度も思いました。自分は終わりなんだと感じていました。

 

 ですが、私はまだ生きています。約三年間の半ひきこもり生活を経て、やっと体の調子がよくなってきました。気分もだいぶましになりました。

 このブログはそんな私が考えた事、感じた事の備忘録です。日記帳のようなものです。誰も見ないのだと思いますが、何処かに自分を残して置きたかったので書きたい事を書こうと思います。

 なぜ調子がよくなったのか。8年前からの事、この3年間のことなどを振り返りながら考えていきたいです。